1年半ぶりの新しい仕事への復帰
両親や兄弟達、特に次兄は鎌倉入院時には、何度も見舞いに来てくれましたが、何時も暇つぶしにと山本周五郎全集(新潮社刊だったと記憶しています)の内の数冊を、差し入れてくれ、入院中に全集(全約20巻位でした)が全て揃いました。勿論、私は全てを読破し、特に気に入ったものは繰り返し読み、以来、周五郎の大ファンとなりました。特に伊達藩の○○周防守(すおうのかみ)を登場人物に扱った小説で、長編ではNHK大河ドラマの初期の頃に平幹二郎が主演を努めた「樅の木は残った」の家老役の妻律は周防守の妹です。周五郎作品の殆ど全ての作品に登場する主役、脇役、敵役に関わらず、周五郎の慈悲深い人間愛や人生の機微に触れて、読み終えた後は何時も気持ちが洗われたような気分にされます。また、○○周防守の○○は私の姓でも有り、周防守が伊達家から隠居の地として与えられた松山は私の出身地の隣町(現在は合併して同市)です。この地を題材にした短編「月の松山」など、先にも話した通り、周五郎は好んで周防守を登場させ、其のいずれの作品でも家来に対し慈悲深く深慮遠謀の好人物として描かれています。私は周五郎の小説で、人生観が変わった様に思います。大怪我で将来はサラリーマンとして定年まで使って貰えるかどうかも分からないし、また自分の性格上、使用人として退職まで働けるかは私も自信が無かったので、若し、将来独立する際は尊敬する周防守に少しでもあやかりたく思い「周防」と言う称号を使おうと思いました。
また、次弟の四男は休みの度(ほぼ毎週)に来て呉れて、私の寝たきりの足裏を長時間に亘りマッサージしてくれ、動かせない両足の血流の促進や脳への刺激をしてくれました。こうして多くの肉親や、転院後の主治医他の皆さんのお陰で人生の再出発をスタートしたのでした。
就職先には面接日の翌日から出社しました。社長は私と同じ年の当時29歳だったと思います。他の事務所の従業員は社長の両親、妹、他にこの業界のベテランらしき、所謂、この業界で言う技術者(正確には給水(及び排水)装置工事技術者、給水装置工事配管工と言う所轄する役所が認めた肩書きを持つ方と女の事務員さんの計7名で、他に現場の職人さん達がいました。私が入社した年にM市独自の水道から東京都に一元化された年でした。其れまでM市は3箇所の井戸水を汲み上げて供給していましたが、地番沈下の問題や将来の地下水の枯渇問題等を考慮し、東京都の水源確保も確実になったので一元化となったのだと解釈しました。水道工事をするにあたっては管理者に給水装置工事の申請をし、承認を得た後に工事に着手する規定があり、これをしないで管理者にばれた場合は当然、其の程度や事情により、罰則が適用される事になります。この工事の申請は先に挙げた2つの資格の内の何れかを所有している者しか出来ません。此処では其の業務を先のベテラン技術者が殆ど処理していた様子でしたが、私が勤め始めてまもなくこの方は近々辞めると聴いて、途方に呉れました。と言うのも入社以来、材料の名称や拾い方(数の数え方)などの仕事のイロハをこの方に教わっていたのです。但し、図面の書き方は、東京都の給水装置工事施工要領に基いて作成しなければならないのですが、この方も未だこれに慣れていなくて暗中模索という感じでした。其のうちにこの方が辞めたので、施工要領の本を読みながら図面書きを何度か繰り返し、或る日、初めて申請書類と共に私の書いた設計図面を有資格者の社長が申請窓口の担当者に提出した所、「こんな書き方じゃだめだ」と投げ返されたそうでした。 ~次回に続く~


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