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2008年6月 5日 (木)

父親の思い出 ②

 今までの記事の中からは未だ父親の性格や母親や子供への接し方等、親父の人柄、人格を窺い知るような記述は無かったと思いますので、ここで、親父の性格を私なりに感じ、また人様の評価をまとめて云うと、誰もが短気で妥協を許さない(悪く言えば包容力が無い)人と言う事です(此の性格が多少の影響を及ぼしていたのだと推測するに弟子達が何人も来ましたが、1人前で年季をあけた人は2,3人しかいません)。どちらかと言うと精力的で女好きの傾向がありました。また、酒好きで機嫌が良い時は都都逸や民謡、特に「さんさ時雨」は何度か聞いた記憶がありました。声量があり、子供ながらに聞きほれた記憶があります。木材に墨付けをしている時なども鼻歌を歌っていました。良い点はう~ん、はっきり云って特筆するものが、余り浮かんでこないんですよね。2日に1回目を掲載後、今述べたところをどう表現しようかと、正直迷っていたのです。 失礼ながら、 之を読んで頂く方の感じ方に、私の親父の全体像を思い浮かべて頂ければ幸いです。
さて、上京後にどんな形で最初の仕事に有り付けたのかは知る由も有りませんが、母への仕送りはぎりぎり生活できる程度は有ったようです。上京後5,6年して親父が車で帰って来ました。母親は勿論、私たちも久しぶりの帰郷に喜び合いました。が、それ以降は送金は続いていたようですが、殆ど帰郷する事は無くなりました。どこでどう知り合ったのか、3,4歳の女の子持ちの十数歳下位の女性と共同生活を始めたらしい事を母が察知して、子供ながらに一所懸命働きながら、父親代わりも兼ねて子育てしている母親に子供達は同情し、そして大人になって結婚した時は其の相手に対し、母親の悲しみを味合わせることの無い家庭をつくろうと、多分、全ての兄弟達が思った筈です。其の証拠に、私の結婚した兄弟達はみんな、奥方にやさしく、料理や家事を手伝っています。そういう意味に於いて父は反面教師だった訳です。 末弟が高校を卒業した翌、昭和46年に母親も上京し、父親の住むM市にアパートを借り住み始めましたが、親父は相変わらず其の女性と同居していました。母親は多分、上京したら女と同居を解消し、自分と同居するものと思い込んでいたのではと思い、胸が痛みました。母親が上京した翌年、私は鎌倉市の由比ガ浜方面から江ノ島に向かう途中の稲村ガ崎の緩やかなカーブを曲がって、70m位先の信号待ちのタクシーに追突し、タクシーの屋根後部附近まで飛んで当たり、それから路面に落ちたそうですが、当たる前からの記憶は無く、気付いた時は病院で母親が側に立っていて、私は思わず母の手を握り締めました。
       ~次回に続く          

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