再発に怯える日々 ①
退院後2年以上は前述の通りあばら骨付近の引き攣れ感と胃付近の痺れるような何とも形容し難い違和感で労働意欲が全く湧いてこないのです。といって経済的余裕などは話のほかで、当時は同市内のY台に母親と1DKを2戸借りて住んでいました(1戸\58000円)が次弟が立て替えて呉れた入院医療費の還付金も生活費や治療費に使ってしまう有様でした。私は平成4年に事業が破綻し、全負債額の5%程度を返済できただけでHCVの発見、治療という次第で自力返済(健康人でも普通の人が飲まず食わずでもまず返済は不可能な額です)の道は全く閉ざされ、商法上は時効ですが、此の時点では民法上は時効のハザマの時期でした。取立てに来る人種は金額的には負債全体の1%にも及ばない額ですがそれぞれの事情が有るのでしょう。こちらは時効が確定するまでは逃げの一手しか方法がありませんので、現住所の2DK家賃5万円のアパートに引越し、ひっそり時効の日を待つ日々でした。 退院後のフォロ- アップは転院前のS.K病院に戻り、前に話したS.M病院の医局から派遣?されたI医師が担当医となり1年間お世話になりました。此の当時の治療は強ミノ注射40mlが週3回、グリチロリチン3錠/3回/D,他にガスター等数種の胃薬に睡眠導入剤のハルシオンで、検査は毎月、採血し2ヶ月に1回エコー検査4ヶ月目にCT検査、6ヶ月目にエコー検査、8ヶ月目にCT検査、10ヶ月目にエコー検査、12ケ月目にMRI検査といった感じのローテーションで丸4年半続きました。エコー検査やCT検査を受け、次の診察を受けるまでは裁判官の判決を待つような心境でした。肝機能検査は種々有りますが、HCVで一番肝機能値をみる指標になると思われるGPT(ALT)の推移を資料が有る範囲で見てみますと、健康診断で要精研と指摘された時が110IU(単位)、以下IUは省略。98年(手術した年)7月ー47、99年7月ー87.2000年5月ー53、2001年5月ー50、2002年5月ー75、2003年5月ー61,2004年5月ー76,2005年5月ー81,2006年5月ー52、2007年6月ー45,2008年1月ー67と大体45~87の間で推移しています。がこのGPT値は肝硬変が進行すると逆に減ってきますので何時までも肝機能の指標とはなりえません。私はチャイルドビュー分類に照らし合わせて自分の肝硬変の重症度の目安(この方法は古い判定方法かどうかは知り得ません。)となる、血清ビリルビン(黄疸の指標)、アルブミン(血管内の水分を調整し、此の数値が基準値から極端に下がると水分が血管から漏れ出し所謂腹水が溜まる)に、アンモニア値(肝性脳症の指標)、血小板数(血液凝固因子でプロトロンビン時間に関係する)等を病院から貰う簡易分析表で特に注目して見ております。 話は変わりますが、今年の1月14日の月曜日(休日)朝9時半頃起きたとたん、同居の母親が救急車を呼んでくれ、と云うので聴いたところ、昨夜と今朝の血圧が高く脈も多いと言う。左手が少し痺れる、ゆえに救急車を呼んでと云ったのだそうですが、意識ははっきりしているし、そんなに急を要する程度とは見えない。40年位一緒に住んでいるので容態が異変とは感じ得なかったので「其の程度では呼べない」と云った所、不貞腐れてしまいかかりつけ医の診察日の「明日まで持つか分からない、死ぬかも知れない」と言う始末で、困り果て、三日に便秘でお世話になったS.K病院に問い合わせたところ、内科の救急には対応していないと言う事でウェルネスセンターを紹介して貰ったが、(血圧の上昇は強い腰痛のストレスの所為と思われたので)総合病院の方が良いと判断し、119番に事情を話したところ、救急車手配しますといって貰い車に運んで暫くしてやっと引き受け病院が見つかり、私は自車で向かいました。本人が納得する様に一通りの検査をお願いし、結果何処にも異常は認められませんでした。本人は異常無しと言う事で機嫌は良くなりました。歳をとると子供帰りするとよく言いますが、正にそう感じた1日でした。 *前にも述べましたが(今後もそうですが)私の医学的コメントは私の浅薄的知識に基ずくもので、医学会の所謂”定説”では有りませんので其の点は充分ご承知置き下さい。


コメント